軍艦島と中ノ島探訪記

 ずっと想い続けていた端島(軍艦島)が、向こうから近寄ってきた!こうなった背景は、私の生い立ちから少し説明させていただきたい。
 私は、1963 年に転勤族の父が広島県の契島(ちぎりしま/亜鉛の精錬所)で働いているときに生まれ、小学校1年生まで、この島で暮らした。
契島も、その形状から「軍艦島」と呼ばれている。 第二次世界大戦のときは、敵機が軍艦と間違え、爆撃されたという話もある。会社所有の島というのも、端島と似ている。幸運にも我が故郷は今でも操業し、(一般的には立ち入り禁止となっているが)上陸も可能だ。 食料や日用品を買えるお店があり、診療所もあり、運動場もあった。幼稚園は竹原市内、小学校は大崎上島と、船で通園・通学し、それが私の「当たり前」の日常だった。
 父の転勤が決まり、海の見えない群馬県に引っ越したときは、しばらくは「陸」に馴染めず、契島での生活のほうが特殊で貴重な体験だったというのは、大人になってからやっと分かってくる。 1973 年には会社の対州鉱山が閉山し、対馬からたくさんの社員と家族 が引っ越してきて、故郷を離れて知らない土地に住まざるを得ない人の心境は、子ども心にも何となく伝わってきた。

 社会人になってから旅に出るようになると、なぜか島旅が多いが、これは契島に住んだことが大きく影響していると思う。長崎県も島が多く、五島や壱岐、西海市の大島などを訪れた。父は、契島で働く前に、対州鉱山にいたこともあり、両親と対馬に行き、社宅跡(畑になっていた)も見に行った。
 旅先で特にはまったのが沖縄の島々で、有人島では上陸していない島のほうが少ないくらい、ほとんど来訪した。それがきっかけで「おきなわ離島応援団」の会員になり、前理事長から「離島concierge」の称号を与えられ、離島の魅力を伝える活動が始まった。
 島となると、見えない触覚がピンと立ち、島が好きだ好きだと、あちこちに言いふらしているうちに、島にご縁のある方々とたくさん知り合うことになる。端島(軍艦島)は、契島と似てはいるけれども、閉山し長いこと立ち入り禁止になっていて、そういう島にこそ、是非行ってみたいとずっと思っていた。 島内の整備が一部進み、観光ツアーが始まったと聞いてから、絶対行くべし!と考えていたところ「東京で長崎ーッ!と叫ぶ塾」の黒沢永紀さんと知り合い、非公開部分も入れるツアーにお誘いいただいた。

◆reporter◆
下山 敦子
Astuko Shimoyama
広島県契島出身
東京都在住

 長崎市内を訪れたのは25 年ぶりくらいで、以前の記憶は全くない。知人に勧められ、時間の空いている午前中に諏訪神社に行ってみた。俳優の高倉健さんが亡くなったすぐ後で、追悼記帳が行われていた。そんな風景を眺めていると、午後からの軍艦島への上陸時刻が近づいてくる。
 出港場所は野々串港から。運航時間は10 分程度で、船上ではなるべく舳先に近い場所にすわり、上陸前から軍艦島全景を眺めたい。あっという間に端島小中学校前に到着。

 学校の建物の下は、海水が入ってきていて支柱がむき出し状態。ギリシャのパルテノン神殿を想像するような風景だ。子どもがいなくなった学校は、ひときわ寂しさが身にしみ る。3 号棟は高級職員住宅で、一番目立つ高いところに位置し、上の階はさぞかし眺めがよかっただろう。
 ベルトコンベアーはまるで、運動場の「うんてい」のように見える。 しばらく進むと、一般公開の見学通路が現れる。 我々のツアーは、こちらは立ち入り禁止で、通常の逆となっている。 立ち入ってはいけないと言われると立ち入りたくなるのが人の常で、きれいに整った通路も歩いてみたくなる。

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 圧巻は、1 号棟の端島神社と、65 号棟(報国寮)。 端島神社は島内でも高い位置にあり、周囲の眺めがすばらしい。このような小さな島に神社があるのは、多いときで5,200人を超えた住人の心のよりどころとなったことだろう。



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 65 号棟は島内最大の建物で、増築後は10 階建ての総戸数300 戸以上とのこと、この中に入って屋上まで行く。 かつては保育園があり、滑り台も残っている。 幼少期の記憶は大人になっても消えないので、この滑り台で遊んだ園児たちは、今も覚えていることと想像する。



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 端島上陸の翌日は、隣の中ノ島に上陸する機会を得た。 潮の条件があったので、同じ野々串港に朝7時に集合・出発。 それでも船着場には着岸できず、ぐるりと回った正反対の船着場ではない岩場の海岸に船を着けて上陸した。 こんなに文明が発達した現在でも自然の力には逆らえないわけで、昔の人はいかに苦労して島に上陸していたかと感服する



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 こちらも端島と同じく、三菱が炭鉱として開発をしたとのことだが、1893 年に操業を停止している。 ケーブルを引いた跡やレンガの遺構が数々あるが、最大の驚きは、端島の住民のための火葬場と公園という、対極の施設があったということだ。 火葬炉や納骨碑、お地蔵様を目の当たりにし、思わず合掌。 草木が繁り、手入れがされなくなってから、幾年月が過ぎたことだろう。



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 頂上まで上ると、展望台と公園がある。当時のレジャーとして、島民の憩いの場所だったのだろう。中ノ島と端島との距離は800 メートル、頂上から見る端島は絶景だ。
 島を去る時間になり、朝は着岸できなかった船着場に行く。 これが船着場と言われない限り、ただ岩を並べただけのように見える。 以前よりも波にさらされて崩落も進んでいるらしい。端島以上に特殊な島を訪れたものと、ご縁のありがたさをつくづく感じた中ノ島だった。



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 旅が終わった後、様々な想いが巡ってくる。かつて繁栄していた土地も、人が去るとゴーストタウンになってしまう。 特に炭鉱は掘り尽くすと人が去り、寂寥感満載となる。 軍艦島は成り立ちから閉山、離島という特異性もあって、長崎市の観光の目玉となりつつあり、市内に数ある観光地の中でもかなりのドル箱だろうと思われる。 世界遺産登録の話もあり、さらなる経済効果も期待できるだろう。 ただ、見たところ、かなりの荒廃が進んでおり、崩壊してしまう部分も増えると思うし、公開部分を広げていく予定があるのかどうかも知りたいところだ。

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 長崎市が観光地としての軍艦島をどのように活用していくか、今後の対応を見守りたい。 中ノ島は、上陸自体にかなり技術を要するので、釣り客か、よほどの島好きでないと、なかなか近づきがたい島だ。 上陸後も道なき道を進むので、体力・気力も必要になる。 私の過去の島旅経験の中で最もアドベンチャラスな島で、上陸できただけでもこれ以上の幸運はない。 天候にも恵まれ、最高にすばらしい旅となった。またいつか上陸し、新たなる発見・気づきを楽しみにしている。