「金つば」って長崎発祥 !

「金つば」って長崎の発祥!と、小さい頃からずっ思てたのだが、そう記されたものに出会えていない。 何故そう思っていたかというと、町名にはないが「金鍔」という町で私は育った。 金つばというお菓子も確かに身近あったし、全国にあるなんて知らず、 小さい頃から 家の三軒先のおばちゃんが作った菓子だと伝え聞いていたからだ。

◆reporter◆
柏原 久美子
Kumiko Kashiwabara
長崎市出身
東京都在住

この辺り町名は「戸町」といい、今の女神大橋の下に位置する。ちょうど長崎湾の出入り口にあたるのだから戸町とは良く名づけたものだ。 金鍔バス停の次は女神。女神大橋が作られる前のこの辺りは馬蹄のような湾曲した入江で、私が上京した頃に全部埋め立てられたようだ。 山側の方に検疫所があったが、今はどうなっているのか定ではない。

金つばの話に戻ろう。子供の頃から「おだいっさん」と呼んできた四国長崎第二十四番霊場金鍔太師院眞照寺。

こんな急な階段を登って行くと。。。

私の子供頃とっておき遊び場だった洞窟がある !

ちっとも変ていな階段の横には 、昔からの鎖の手摺が今なお現役

じへいさんの洞窟

ここは、じへいさんが隠れてた洞窟。今は一人でいると怖いけれど小さときは夕暮までここで良く遊んでいた。 「じへいさんに怒らるっけん早よ帰らんば」と近所の人によく言われたものだ。 さて、金鍔の名由来だが、母やご近所の人が呼んでいた「じへいさん」本当の名を「金鍔次兵衛(きんつばじひょうえ)」といい、金の鍔の脇差を持つ隠れキリシタン宣教師であったという。妖術を使えるとかで、長崎では恐れらた存在だったらしい。書物には諸説書かれているが、こでは私の伝え聞いたことだけを記したいと思う。
金鍔次兵衛は長崎と江戸を行ったり来たり、金鍔狩りという時津の山の一斉捜索でも捕まることはなかったが、出津(外海町)の教会のシスターに聞いた話では、出津の山で食事を炊く煙で見つかり捕えられたという。西坂で拷問され処刑たが、蘇ってくるこを恐れた奉行所は、その骨を砕き長崎湾に撒いたそうだ 。出津は私の祖母の実家なで、金鍔に居をかまえた父とじへいさんとの深い縁を感じずにはられない。

西坂にある日本二十六聖人記念館の二階の中庭で、金鍔次兵衛の立像を見ることができる。

お菓子の金つばは四角が主流だが、このじへいさんの脇差しの金の鍔も四角なのである。
私は心の中で、いまでもこれからも金つばは金鍔で作られたのだと信じていきたいと思う。

じへいさんの洞窟をさらに登ると、私の基地であった手袋岩だ。
こには火の神様とお金の神様がいらっしゃる。

女神大橋開通の時に久しぶりそ姿を裏側から確認出来た。
「火の神様ー。お金の神様ー。私は東京ですっごく頑張っているよ!」と叫んだ。

最後に父がいつも歌ってくれた唄の歌詞を記す。 本当にこんな唄があるのか?それとも父の創作なか?父の創作にしては良く出来すぎている。
この歌詞に出てくる「金貸し」とは、女神大橋の向こう岸にいらっしゃる金貸稲荷大明神(崎社)の事のようだ。次回はそこまで歩いてみようと思う。

♪~『戸町名所はあげの公園 女神の桜
女神鼻から ちょいとながむれば
そこは金貸し~猫が睨んだ
あら、ねずみ島』